3万年前の航海が再現されようとする直前の2016年7月7日から9日かけて、八重島諸島に襲来した台風1号。
その影響は想像以上に大きく航海は延期の連続で、当初7月12〜14日の出航予定は、最終的に15〜17日に変更。そして、17日まで待っても出航できない場合、今回のプロジェクトは中止になります。
このまま八重島諸島にいるか、帰京するか──。16日に帰京予定だった私も判断を迫られましたが、実験の成功を信じて滞在を延ばすことにしたのです。
ページ内目次
えっ? 宿の空きがない!
出航が15〜17日になれば、就航は16〜18日になります。19日までの滞在延長を決めた私は新たに宿を探さなくてはならなかったのですが、あいにく16日(土)〜18日(月・祝)は3連休。石垣島の宿はほぼ満室で、空き室のある宿は港から車で数時間かかるような宿ばかり。この事態に私は途方に暮れることになります。
あくまで西表島での打ち上げに参加することが目的だった私にとって、宿の場所はとても重要で、出航の報せを受けてからすぐに西表島に移動するためには、宿は港の近くでなければなりません。
インターネット上のあらゆる宿泊案内のサイトを探した末、なんとか17・18日は石垣島の港近くのホテルが取れたものの、16日はどこの宿も満室状況。そして、かすかな望みを託して探しまわった末、なんとか石垣島の南に位置する竹富島のゲストハウスが見つかったのです。ただし、西表島行きの定期船は石垣島からしか発着していないので、石垣島を離れることに不安はありましたが、竹富島ならばその日のうちに石垣島を経由して西表島に入ることができます。ここまできたら背に腹は代えられません。
たまたま宿泊先となった、竹富島の美しさ
ようやく滞在先が決まり、いつでも西表島に入れる態勢が整ったものの、海況はあいかわらず思わしくありません。
16日、「本日も出航しない」のコメントに落胆しながら、私は竹富島のゲストハウスに向かいました。竹富島は石垣島から定期船でわずか15分ほどの距離ですが、琉球文化が今も色濃く残る町並み。航海の延期を疑いたくなるほどの晴天に恵まれた竹富島の目を疑うような美しさ。その景色を観れただけでも、八重島諸島に訪れた甲斐があったんじゃないのかと思えるほどでした。
また、宿泊先がゲストハウスだったため、スタッフとの交流を持つ機会が多かったのですが、「竹富島の美しい町並みは住民のたゆまぬ努力によって保存されている」……、こうした話を聞けたことも、今プロジェクトでの大きな収穫となりました。
東京を発った後ずっとホテルにこもって仕事をしていたので、観光らしい観光はまったくしていなかった私としては、偶然にも竹富島のゲストハウスに泊まることができて本当に幸運だったといえます。これも、体験型クラウドファンディングがもたらしたご褒美だったといえるでしょう。
ついに迎えた、出航期間最終日
竹富島でのすばらしい時間を過ごして迎えた17日は、ついに出航最終日です。
いつもは早朝に更新されるFacebookのコメントですが、その日は未更新。悶々とした気持ちで竹富島を後にし、石垣島のホテルに着いてからFacebookを確認したところ……。
「出航したっ!」
周囲を顧みず、私は思わず叫んでしまいました。
それからはコメントの更新を確認しながら、無事に就航されることを祈り続けるばかり。
しかし、「明朝早くから西表島を目指します!」という17日のコメントを最後にコメントが途絶え、18日の昼過ぎになってもなかなかコメントは更新されません。結局、次の報せは「3万年前の航海“謎深まった” 草舟、どうにかゴール」と報じられたWebサイトでのニュースでした。ニュースによれば、伴走船に引かれる場面もあったとのことでしたが、何はともあれ無事に就航したそう。そして、その一報を知るやいなや、私は慌てて西表島へ向かったのです。
到着早々、念願が叶ってしまった!
西表島まで定期船で約1時間、そこからさらにバスで約30分の場所に就航地・シラス浜があります。
浜からほど近い打ち上げ会場に私が到着したのは19時前だったと思いますが、すでにゴールを祝う多くの人や報道関係者で賑わっていました。会場に到着早々、なんとプロジェクト主催者であり、ご自身でも漕ぎ手となられた科学博物館の海部先生と、直接お話しする機会に恵まれたのです。つまり、私の念願は、会場に到着してわずか数分で叶ってしまったわけです。
普段は研究者然としている先生のお顔も、この時は真っ黒に日焼けされており、それだけで先生のご苦労が十分に伝わってきます。実験を通して感じたことや、今回の結果を踏まえて次に挑戦しようと思っていることなど、興奮ぎみに笑顔で語られる先生を間近で見て、私も思わず胸が熱くなり、現地まで来たこと、そして、この瞬間まで粘ってよかった……とつくづく思ったのです。
連載5回を振り返って……
この連載の1回目の記事の最後に、私はこう記しました。
「我々日本人の起源について、さまざまな分野の第一線で活躍する研究者と直接話をすることができる(しかもお酒を呑みながら!)。学生時代にこんな状況を夢見ていた私にとって、打ち上げパーティと成果報告会への出席権は10万円を優に超える価値がありました」と。
交通費や宿泊費、滞在費などを含めると費用は30万円ほどかかったことになりますが、それでもやはり、それ以上の価値があったと断言できます。世界的に注目される実験の直後に、主催の研究者の方と直接お話しできる体験なんて人生で何度もありませんから。
また、舟の漕ぎ手となったのは与那国島と西表島の有志の方々でしたが、このプロジェクトのために自らの仕事を休んで協力されていた方も多くいらっしゃいました。さらに航海現場は非常に過酷で、常にギリギリの選択を強いられたことも後に知りました。
クラウドファンディングは夢のある投資
クラウドファンディングへの出資者は「お金とサービスは等価交換だ」と考えがちですが、今体験を通して、プロジェクト実現の裏側では相当な時間、人、コストとしてかかっていることを私は学んだことなります。何より、購入型のクラウドファンディングは実現していないことへ挑戦するプロジェクトが多く、そうした背景からも見積り通りに実現されることは、まずないと言ってよいでしょう。
だからこそ出資するなら、心から実現してほしい、自分もそのプロジェクトに参加している気持ちになれるプロジェクトを選択し、出資した以上の対価を得られる貴重な体験を多くの人にしてほしいと、私は願ってやみません。そういう意味でも購入型のクラウドファンディングは非常に夢のある投資。僕の体験談を読んで興味がわいたのであれば、ぜひチェックしてほしいものです。
≪記事作成ライター:水野 稔≫
1977年名古屋市出身。大学卒業後、編集プロダクションで旅行代理店情報誌の編集者として活動後、Web技術を独学で習得し、2006年にWeb制作会社に転職。ディレクターとしてさまざまな案件に携わり、2011年に独立。
Follow Us