歴史や価値とともに変化する「お値段」⑦ ── 映画の入場料


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ものやサービスの値段は時代によって変わるものです。「高い」「安い」の基準になっている貨幣の価値も時代によって大きく変わります。

さまざまな分野のものやサービスの「お値段」を比較してみましょう。今回は、映画館の入場料がテーマ。いわば「映画のお値段」です。夏休みの季節、昔は子どものための怪獣映画と漫画、アニメなどが組み合わされた娯楽映画のセットが封切られ、映画館は親子連れでいっぱいでした。最近は、そうした光景はあまり見られなくなりましたね。現在は娯楽が多様化しているだけでなく、映画もDVDやネット配信で楽しむ時代。その変化も大きく影響しているのでしょう。そこで今回は、かつての「娯楽の王様・映画」の入場料の変遷を眺めてみましょう。

歴史や価値とともに変化する「お値段」① ──カラーフィルム
歴史や価値とともに変化する「お値段」② ──カメラ
歴史や価値とともに変化する「お値段」③ ──初鰹
歴史や価値とともに変化する「お値段」④ ──古書
歴史や価値とともに変化する「お値段」⑤ ──夏目漱石の「経済的価値」
歴史や価値とともに変化する「お値段」⑥ ──ビールのお値段

エジソンのキネトスコープは、25セント

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映画の発明には、複数の人物がかかわっています。中でも代表的なのが、フランスの映画発明者として「映画の父」と呼ばれる19世紀末のフランスのリュミエール兄弟でしょう。そして、もうひとりの「映画の父」として名高いアメリカの発明王トーマス・エジソンは、1891年にキネトスコープを発明します。
エジソンが発明したキネトスコープは、スクリーンに映写される映画館ではなく、大人の胸ほどの高さがある大型の箱の中にフィルムを装填し、その箱型装置をのぞき込むというもの。動画への物珍しさから瞬く間にキネトスコープは人気をさらい、デパートやパーラーに設置されることに。このときは25セントで30秒ほどの短編映画を5本見ることができたそうですが、次第に多数の観客を集めた専門劇場でのスクリーン上映が主流になっていきます。

映画の歴史、そして映画の上映の形式の歴史は、さまざまな技術革新とも関連して長い複雑な歴史を持っていますが、加藤幹郎『映画館と観客の文化史』(中公新書)などを参考に、ここでは主に日本の映画館の入場料に焦点を当てて紹介します。

1930年代に10銭だった、大衆娯楽の王様・映画

日本で映画が専門の劇場で商業的に上映されるようになったのは、1903年にできた浅草の「電気館」がはじめであったとされています。

当時は活動写真と呼ばれて一世を風靡する人気を博し、ほどなく各地に映画館がつくられるように。1930年代には、一番安い上映館の入場料は10銭ほど。設備の整った大劇場では60銭〜80銭ほどであったようです。もりそば、かけそばが10銭ほどの時代です。

戦後になると、本格的な大衆社会の到来と同時に、映画は大衆の娯楽として一気に花形的存在へ。戦後すぐの1948年の映画館入場料は、40円ほど。カレーライスが一杯50円の時代ですが、洋画の指定席などは100円以上したようです。

1955年の映画館入場者数は、約9億人

日本映画産業統計によると、1955年の映画館の入場料の平均料金は63円。この数字に消費者物価指数の数字を重ねてみると、500円程度となるでしょうか。

このころは、封切りの一番館からニュース映画専門館まで、料金にかなりの幅がありました。ちなみにこの年の映画館入場者数は、約9億人。実に驚くべき数字です。この時期いかに日本人が娯楽に飢えていたかがわかります。

この後、映画館入場料の平均は1970年頃まで数百円で推移しますが、1980年頃には1000円を突破します。これは物価高騰のほか、やはりカラーテレビの普及と娯楽の多様化が原因になっているようですが、入場料を上げることで、映画館の減少、興行収入の減少をカバーしていたことになります。同時に、50年代に約9億人を記録した入場者数は、1億人台に低下。ちなみに1989年までは「入場税」という制度がありましたが、これは消費税の導入で廃止されました。

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世界で一番高い? 日本の映画館入館料

1993年には、封切館の入場館料金は1800円に。そう、私たちがいま劇場に足を運んだ際の入場料です。この価格は現在までほぼ変わっていません。いわば「高止まり」の状態で推移していて、このお値段は「世界で一番高い」とも言われているのです。

ただ近年、シニア料金、カップル料金、映画の日サービス、などさまざまな割引制度が行われているため、映画館入場料の平均は1200~1300円程度といったところではないでしょうか。1000円程度で少し前の映画を見ることのできる名画座もなくなってしまったわけではありません。

現在では家庭テレビも大画面化しましたし、レンタルディスクに加えて、月額固定のストリーミングサービスも普及しましたから、映画館に入るという行為自体の価値が変わってしまったのかもしれません。ライフメディアのリサーチバンクによると、映画館で半年に一度以上観賞する人は、何らかのかたちで映画を見る人のうち4割程度である、という数字もあります。

個性的なミニシアターや名画座は、まだまだ奮闘中

映画それ自体が、なんといってもテクノロジーの産物ですから、技術が変われば映画も変わる、のは当然のことですね。

最近ではその技術を駆使し、様々な趣向を凝らした映画館も話題を集めています。

横浜駅西口から徒歩5分の場所に立つ「DMM VR THEATER」は、最新のテクノロジーが集結している“世界初の常設3DCGホログラフィックシアター”。3DCGでスクリーンに映し出された映像は、目の前に人が立っているかのような臨場感で“これぞテクノロジー”といったところですが、シアターと名はつくものの、映像演出ライブ、アーティスト、ユニットの特別映像・ライブ・舞台、フルCGアニメーションなどの公演を多数実施。※価格は公演によって異なる。

また、京浜急行線戸部駅に近い「シネマノヴェチェント」は、固定席28(エクストラ席含めて31席)の日本最小映画館。その“こぢんまり”とした規模からサポーターズ会員を随時募集しているようで、さながら部活やサークルのような雰囲気。気になる入館料1100円、フィルム上映1300円。

一方、2017年12月2日(土)をもって閉館したものの、横浜MM21の高層タワーマンション群の中に佇む「ブリリア ショートショート シアター」も、オープン時は大きな話題を集めました。同シアターはショートフィルム専門映画館で、長くて25分、短いものはわすが1分のショートフィルム映像ばかりを取り揃え、一回のプログラムで1時間分ほどがまとめて上映されていたそう。

── 最後にご紹介した趣向を凝らした映画館はいずれも横浜ですが、そういえば「封切り」という言葉を生み出したのは「横浜・伊勢佐木町」でした。かつて伊勢佐木町のランドマークであった「オデヲン座」は、1911(明治44)年にドイツ人が開業した由緒ある風情豊かな劇場であり、長きにわたり横浜の人々に愛されてきました。そんな映画の街として知られる横浜の原風景「オデヲン」ビルも、2014年からはドン・キホーテに変貌。その変わりように時代の様変わりを痛感しますが、とはいえ横浜には今も映画の街の意気込みが脈々と息づいているよう。都内にも個性的なミニシアターや名画座がいまもたくさん残っていますが、あなたが最後に劇場に足を運んだのは、さて、いつのことでしょうか?

≪記事作成ライター:帰路游可比古[きろ・ゆかひこ]≫
福岡県生まれ。フリーランス編集者・ライター。専門は文字文化だが、現代美術や音楽にも関心が強い。30年ぶりにピアノの稽古を始めた。生きているうちにバッハの「シンフォニア」を弾けるようになりたい。


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