ものやサービスの値段は時代によって変わるものです。
「高い」「安い」の基準になっている貨幣の価値も時代によって大きく変わります。
さまざまな分野のものやサービスの「お値段」を比較してみましょう。これまで「カラーフィルム」「カメラ」「初鰹」「古書」のお値段をご紹介してきましたが、今回のテーマは「国民作家・夏目漱石」(1867~1916年)がテーマです。漱石の肖像はかつて千円札に使われていましたが、漱石とお金のかかわりはどんなものだったのでしょうか。山本芳明『漱石の家計簿』(教育評論社)などを参考に、その価値について少しのぞいてみましょう。
歴史や価値とともに変化する「お値段」① ──カラーフィルム
歴史や価値とともに変化する「お値段」② ──カメラ
歴史や価値とともに変化する「お値段」③ ──初鰹
歴史や価値とともに変化する「お値段」④── 古書
『坊っちゃん』と、ものの値段
漱石の代表作『坊っちゃん』には、ものの値段が細かく記されています。
例えば、一人称「おれ」で語られる坊っちゃんが、新任教師として松山に赴任した際の月給は40円。明治39(1906)年の銀行員の初任給が35円の時代です。松山で最初に泊まった旅館で一番粗末な部屋をあてがわれた坊っちゃんは、腹を立ててチップを5円払います。
これは現在の貨幣価値に換算すると数万円から5万円だと思われますので、これはもう破格のチップです。翌日から宿の女将さんが板の間に頭をすりつけて、坊っちゃんの帰りを迎えるようになったのも当然でしよう。このあたりは、気が短くて負けん気の強い江戸っ子・坊っちゃんの性格が表れている個所でもあり、そのほかにも団子や温泉に行く汽車の運賃などが作中では詳細に記されています。
『坊っちゃん』は、明治40(1907)年に春陽堂から単行本として発行されました。タイトルは『鶉籠(うずらかご)』で、『二百十日』『草枕』がともに収録されていました。当時の定価は1円30銭ですから、現在の価値では1万円は超えるよう結構なお値段だったと考えられます。それにもかかわらず、初版は3000部。大正2(1913)年までに1万2171部も売れています。
お金持ち作家・漱石
漱石は、小説の中でものの値段を細かく記す性格である一方、経済に執着しないことをしばしば美徳であると記しています。『野分』に「金を目安にして人間の価値を決める訳には行かない」と書いているほか、漱石の妻・夏目鏡子も「漱石は金には執着の少ない人だった」……と回想しています。
しかし、『鶉籠』の売り上げに見られるように、漱石は生前からベストセラー作家であったと同時に、朝日新聞社の社員として高い給料をもらっていましたから、本の印税とあわせて経済的には恵まれていたはずです。松岡譲の『漱石の印税帖』を参考にすると、朝日新聞入社以降の漱石の年収は5000円に達していたと考えられ、これは当時のトップクラスの官吏や会社員並みの給料。現在では数千万円にあたるでしょう。
没後、数億円の印税収入
漱石は大正5(1916)年に亡くなっていますが、没後、漱石の小説は急激に売れだします。『吾輩は猫である』『坊っちゃん』『虞美人草』……。単行本が版を重ね、さらにさまざまな文学全集にも必ず収録され、『漱石の家計簿』の綿密な考証によると、昭和初期の夏目家は「およそ4億4000万円から8億8000万円の収入を得ていた」ということです。
大変な金額ですが、この頃、鏡子夫人はかなり贅沢な生活をして、そのあげくに投資の失敗などでかなりの額の財産を失ってしまいます。
漱石の全集は、第一回が大正6(1917)年から岩波書店で刊行され始めますが、その後も40種類以上の漱石全集が刊行されていて、それは夏目家の家計を助けてきたという側面があるのです。
「前近代から近代へ価値観が大きく転換した時代に、人びとの愛と孤独と狂気をみつめ、物語をつむぐことによって魂の尊厳に光をあてた漱石。没後100年を経た今なお、その著作はわれわれのこころを捉えて離さない」(岩波書店ホームページより/2016年から刊行された新全集のコピー)。
その文学史上の価値はもちろん、夏目漱石なる「国民作家」の経済的な価値も、まだ衰えることを知らないようです。
≪記事作成ライター:帰路游可比古[きろ・ゆかひこ]≫
福岡県生まれ。フリーランス編集者・ライター。専門は文字文化だが、現代美術や音楽にも関心が強い。30年ぶりにピアノの稽古を始めた。生きているうちにバッハの「シンフォニア」を弾けるようになりたい。
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