街中にあふれる銀行の看板の中で、ふと目にとまる信用金庫。
同じ預金や融資などの業務を扱っているのに、一体何が違うのか、疑問に思ったことはありませんか。
大企業の取引先は銀行で、中小企業は信用金庫という漠然としたイメージをもつ人も多いようですが、その歴史やそれぞれの成り立ちを見れば、おのずと経営理念の違いが分かるのでは。
そこで、この二つの金融機関のルーツを探ります。
協同組合から生まれた「信用金庫」
信用金庫のルーツは、19世紀のイギリス・マンチェスターまで遡ります。
当時のイギリスは産業革命の真っただ中。富める成功者もいれば、時代の波に乗れない者もあり、貧富の差が拡大した時代でした。
こうした中、人々が集団を形成して、共同で物品を売買したり、また金銭を融通しあったり、お互いが協力しながら暮らし始める運動が起こりました。
これが、相互扶助、共存共栄の理念を持つ協同組合の始まりです。
信用金庫もこうした運動から生まれました。いわば、生協、農協とは兄弟のような関係と言えるのです。信用金庫は協同組合の金融機関として、なくてはならないものになったのです。
日本ではドイツの商工業者の信用組合に倣い、1900年に産業組合法が施行。1951年に信用金庫法が施行されました。
貸金庫からお金を生む「銀行」へ
一方、現在のような金融業務を行う銀行の原型が生まれたのは、17世紀のイギリスです。
お金持ちの商人などは、手元に多くの金〈ゴールド〉があると、その頃最も頑丈な金庫を持っていた金細工商(英名・ゴールド・スミス)に、金〈ゴールド〉を預けるようになっていました。
ゴールド・スミスは金〈ゴールド〉を預かると、預かり証(約束手形)を発行し、保管料を取っていました。
そのうちゴールド・スミスは、預金者のほとんどは、金〈ゴールド〉を引き出しにこないことに気づきます。
そこで、預金者のお金を人に貸し出し、約束手形を発行するということを始めます。もちろん利息をつけながら。
そして、その約束手形の裏書には、金に変換できる権利についての文言を書くことで、信用という概念を植え込みました。
一枚の紙きれである手形はこうして信用され、人々の間で流通するようになります。これが紙幣の原型です。さらにゴールド・スミスは自分が持っている金〈ゴールド〉以上の預かり証を発行していきます。こうしてゴールド・スミスは銀行家になっていきました。
預かった金〈ゴールド〉を運用し、利益を生む仕組みを見つけたこと、これが銀行の始まりなのです。
日本では、江戸時代に両替商が発達しましたが、明治維新により両替商に代わり銀行の時代へ代わっていきます。1873年に日本初となる「第一国立銀行」(現・みずほ銀行)が設立されました。
地域発展のための「信用金庫」と株主の利益が優先される「銀行」
前述した歴史からも分かるように、信用金庫は相互扶助の精神に基づいているので、利益第一主義ではありません。
あくまで、地域発展のために利益を生むという目的があり、営業エリアも限定されています。そうした背景から、会員制度がありローンを組むのなら会員になる必要があります。
会員になれるのは、その信金の営業エリアにある企業(従業員300人以下または資本金9億円以下)か、エリア内の企業の勤め人か住民に限られています。
※小口融資であれば、条件を満たしていればエリア外の人も利用できる場合もあります。預金は会員以外の人もできます。
対して銀行は、銀行法に基づく株式会社。
株主の利益が優先されるゆえ、収益性の高い大企業が主な取引相手となります。
メガバンクは全国に支店があり、広範囲に展開。会員制度などなく、一般に開かれているのが銀行の特徴です。
銀行と信用金庫は、その成り立ちから経営理念が大きく違うことがお分かりいただけたでしょうか。
現在、マイナス金利が導入されて大揺れの金融業界ですが、これまでもリーマンショックなどで厳しい状態の下請けを支えたのも、信金と言われています。
弱きものに優しいのが、信用金庫と言えるのかもしれません。
≪記事作成ライター:ナカムラミユキ≫
千葉出身。金沢在住。広告制作会社にて、新聞広告を手掛ける。映画、舞台からメーカー、金融まで幅広い広告記事を担当。著名人インタビューや住宅関連、街歩きコラム、生活情報まで興味の赴くまま執筆しています。
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