歴史や価値とともに変化する「お値段」⑬ ── ランドセルのお値段


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ものやサービスの値段は時代によって変わるものです。「高い」「安い」の基準になっている貨幣の価値も時代によって大きく変わります。

今記事では、これまでさまざまな分野のものやサービスの「お値段」を比較してきましたが、あと10日ほどで4月。4月といえばピカピカの1年生のかわいらしい姿を街のあちこちで見かける季節ともいえますので、13回目となる今回のテーマは「ランドセル」です。
鉛筆などの文房具と同じく、ランドセルも近代の学校制度に伴って広く使われるようになった一種の学用品です。小学校へ入学するとき、新しいランドセルに感じたワクワク感を覚えている方も多いことでしょう。では早速、ランドセルのお値段の変遷を大ざっぱに追ってみましょう。

歴史や価値とともに変化する「お値段」① ── カラーフィルム
歴史や価値とともに変化する「お値段」② ── カメラ
歴史や価値とともに変化する「お値段」③ ── 初鰹
歴史や価値とともに変化する「お値段」④ ── 古書
歴史や価値とともに変化する「お値段」⑤ ── 夏目漱石の「経済的価値」
歴史や価値とともに変化する「お値段」⑥ ── ビールのお値段
歴史や価値とともに変化する「お値段」⑦ ── 劇場入場料
歴史や価値とともに変化する「お値段」⑧ ── 郵便料金
歴史や価値とともに変化する「お値段」⑨ ── 宝くじ
歴史や価値とともに変化する「お値段」⑩ ──日本語ワープロ
歴史や価値とともに変化する「お値段」⑪ ──外食のお値段
歴史や価値とともに変化する「お値段」⑫ ──鉛筆など文房具のお値段

軍隊の「背嚢」が、ランドセルの原型だった?

ランドセルは、日本が西洋式の軍隊制度を輸入する際に導入された、兵隊が装備品を背負って歩く「布袋(背嚢/はいのう)」が原型になったと言われています。背嚢を意味するオランダ語「rasel」がなまって日本語化したようです。
明治10(1877)年に開校した学習院は、生徒が馬や馬車で通学することを禁止するとともに、軍用の背嚢に学用品類を入れて通学させることにしました。これが学校用ランドセルの始まりでしたが、当時はまだ、ランドセルといっても布製で現在のリュックサックのようなものでした。

現在よく見る箱型のランドセルは、明治20(1887)年に皇太子時代の大正天皇が学習院入学の際、伊藤博文首相が天皇の通学用として特注の背嚢を献上したのが始まりとされています。その格好よさが評判となり、一般用としても発売されるようになりました。
当初は、教科書などは学校に置いたままで通学していましたが、近代学校制度における科目の細分化とともに教科書などの多くの学用品を使うようになり、あわせて宿題などが出されたことで、学用品を携帯して登下校するようになったことも、ランドセルが普及した原因の一つになりました。

大正3(1914)年のランドセルのお値段は1円5銭。同時期のそばが一杯5~6銭であったことを考えると、現在の価値で6000~7000円、あるいは1万円を超える程度でしょうか。当初のランドセルのお値段は今ほど機能的ではなかったにせよ、現在と比較してあまり高くなかったことがうかがえます。

普及とともに、多様化するランドセル

ランドセルはこのようにして次第に普及していきましたが、当初の普及エリアは都市が中心であり、地方では太平洋戦争期まで風呂敷包みをもった子どもたちの姿が一般的でした。昭和16(1941)年のお値段は9円8銭。現在の価格にして1万数千円であることから、都市の中流階級であれば手が届くものであったと考えられます。
しかしながら時代は太平洋戦争開戦の頃。戦争が始まったことによって皮革の確保が困難となり、ブリキ製のランドセルなども作られました。

その後はテレビの普及なども手伝って、昭和30年代以降になると全国各地でランドセルを背負った子どもの姿が見られるようになり、ランドセルは小学生のシンボルのようになりました。昭和30年代のランドセルのお値段は2500円。現在の2万~3万円程度と思われますが、当初は豚革だったものが高級な牛革で作られるようになり、年を追うごとに高級化していきます。
また、給食袋や体操着袋などの学用品が増えるにしたがってマチ幅が広くなり、仕切りやポケットなどがつくなど機能化が進んでいきますが、昭和40年代からは人工皮革で作られることも多くなりました。

「男子は黒、女子は赤」は、もう通用しない

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現在の傾向として、小学校入学を控えた子どもの親が、前年の春ごろからランドセルを購入するための準備にいそしむことを「ラン活」と表現していますが、ひと昔前までのランドセルといえば、男子は黒、女子は赤という考え方が普通でした。
しかし現在では、カラフルなランドセルが作られるようになっています。そのバラエティは豊富で2001年からは24色揃うブランドもあり、女の子がブルーのランドセルを使用し、男の子がワインカラーのランドセルを使用していることも多くなっています。

現在では少子化を反映して生産高も落ちていますが、逆に好みが多様化。消費全体に共通していることですが、大量生産、薄利多売は以前の時代の話であって、ランドセルも「一点もの」「他の児童とは違うもの」を求める傾向が強まっています。
さらには、恵方巻き、バレンタイン、ホワイトデーなどのイベント商戦と同様に、ランドセルも季節商戦の一角を担う存在となり、店頭に色とりどりのランドセルが一斉に並ぶ光景は、まるで春の花が一斉に咲き誇るかのよう。
なにはともあれ、多品種・少量生産という相反する条件下でランドセルを製造し、売上を確保していかなければならないことは、生産側にとって大変な労苦といえるでしょう。

そうした労苦の中でも生産側はあれこれ工夫を凝らし、なかには手作りの高級品やブランド名を冠したものも登場しています。そうした商品のお値段は、簡単に10万円を超えるものとなっています。
その一方で、デジタル教科書、デジタルノート(タブレット)などが今後広く普及すれば、現在のような大きなランドセルは不要ではないか、という意見も出ています。そうした意味で考えていくと、ランドセルそのものはなくならないにせよ「より高級化」「さらなる少量生産」に拍車がかかっていくかもしれません。

ランドセルだけでなく、気になる学習机のお値段は?

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さて、ランドセルとともに小学入学時に必要なものとして学習机があります。就学とともに子どもに机を与えるという習慣は、おそらく戦後に定着したもののようです。そのためか、学習机の価格の記録が明確に残っているのも戦後のこと。
前回の東京オリンピックが開催された昭和39(1964)年には、引き出しと椅子がセットになった学習机が発売されていていて、お値段は9900円。現在価格で数万円といったところでしょうか。

オリンピック景気にわく日本では多くの家庭で教育熱が高まり、宿題や受験勉強の一般化が進み、「子ども部屋」が与えられるようになっていきます。その影響もあってか昭和50(1975)年になるとお値段はぐっと上がって、学習机のお値段は2万円以上が当たり前になっていきます。
この頃になると子どもの成長に合わせてさまざまな機能が学習机に付加されるようになります。「机の高さを変えられる」「本棚や蛍光灯が組み込まている」「引き出しに鍵がかかるようになる」「鉛筆削りつき」……など。あるいは当時大人気の「仮面ライダー」や「ハローキティ」などのキャラクターがデザインされた学習机も登場。

時代は進み、現在では少しお値段は張るものの、国産無垢材と自然素材の塗装が特長の学習机が販売されるようになり、さらにはライトや引き出し、本棚(ユニット)などのパーツを、使う人が自由にカスタマイズできるものも登場しています。お値段は素材や機能性によって大きく異なりますが、数万円台から10万円を超えるものまでさまざまです。

── 少子化に伴って大きく変わりつつある分野として注目されているのが、教育と子どもをめぐる環境といえるでしょう。もちろんその変化はお値段だけではありません。
私たちが当たり前のように目にしている、ランドセルを背負った小学生が元気よく走っている光景も、もしかしたら将来、「昭和から平成の時代によく見られた印象的なシーン」になるのかもしれません。

≪記事作成ライター:帰路游可比古[きろ・ゆかひこ]≫ 
福岡県生まれ。フリーランス編集者・ライター。専門は文字文化だが、現代美術や音楽にも関心が強い。30年ぶりにピアノの稽古を始めた。生きているうちにバッハの「シンフォニア」を弾けるようになりたい。


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