歴史や価値とともに変化する「お値段」⑪ ─ 外食のお値段


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ものやサービスの値段は時代によって変わるものです。

「高い」「安い」の基準になっている貨幣の価値も時代によって大きく変わります。さまざまな分野のものやサービスの「お値段」を比較していきましょう。今回は、外食がテーマです。

日本人は比較的家庭内で食事をする傾向が強いようですが、そのせいか、外食には独特の「ハレ」の感覚が強いですね。子供の頃に「今日が外食だ」というとなんとなくワクワクした記憶をお持ちの方が多いのではないでしょうか。
日本人が特に好んで食べるそば、天ぷらなどを中心に主に昭和初期からの外食のお値段の変遷をざっとたどってみましょう。

歴史や価値とともに変化する「お値段」① ── カラーフィルム
歴史や価値とともに変化する「お値段」② ── カメラ
歴史や価値とともに変化する「お値段」③ ── 初鰹
歴史や価値とともに変化する「お値段」④ ── 古書
歴史や価値とともに変化する「お値段」⑤ ── 夏目漱石の「経済的価値」
歴史や価値とともに変化する「お値段」⑥ ── ビールのお値段
歴史や価値とともに変化する「お値段」⑦ ── 劇場入場料
歴史や価値とともに変化する「お値段」⑧ ── 郵便料金
歴史や価値とともに変化する「お値段」⑨ ── 宝くじ
歴史や価値とともに変化する「お値段」⑩ ──日本語ワープロ

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そばがき、そば切り、二八そば……

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そばは古代から栽培されていますが、古くは粒のまま粥(かゆ)にし、あるいは蕎麦粉をねっていわゆる「そばがき」のようにして食べたり、お好み焼きのようにして焼いて食べていたことが多かったようです。麺の形で食べるようになったのは、江戸時代初期から中期のこと言われています。これを特に「そば切り」と呼ぶこともあります。

江戸時代には「二八そば」といって、振り分けの荷を担いで歩く移動屋台の形で流行しました。歌舞伎などではこのそば屋が今でも登場します。この「二八」というのは、つなぎのうどんとそば粉の割合が2:8であったこと、または値段が16文であったことに由来するといいます。元禄時代に現在のような濃い口の汁につけて食べるもりそばのスタイルが定着したようです。

庶民の味方 ── もりそばの値段の今昔

16文はおおよそ現在の250円から300円程度と考えられますから、簡便なファストフードとして、庶民に愛されました。江戸時代の貨幣価値を換算する場合に、このそばの値段を基準にされることもあります。
昭和10年ごろのもりそばの価格は15銭、天ぷらそばが30銭程度であったという記録が残っています。戦後の昭和20年代にはもりそばは20円近くにはなっていたようです。東京・上野の池之端の藪蕎麦には昭和29年にもりそばが35円、天ぷらそばが120円という記録も残っています。タバコのピース10本入りが45円の時代です。
もりそばの値段が100円を超えたのは、昭和45年のこと。ピース10本入りは75円になっていました。
現在では、いわゆる立ち食いそば屋でもりそばが300円程度、一般のそば屋さんで500円程度でしょうか。ざるそばが一枚1000円近くする「高級」なそば屋さんもありますが、今も昔もそばは庶民のお腹を満たしてきたのです。

「天ぷら」はファストフード? 高級なごちそう?

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天ぷらも江戸時代にはファストフードだった

江戸時代には天ぷらもまた屋台で出されるファストフードで、揚げたてを串に刺して立ち食いするものでした。江戸時代になってから油の生産量が増えたことも、天ぷらの普及に影響したようです。

明治の頃には銭湯の近くに出す屋台などもあったようで、移動販売のスナック感覚ですね。一串4文から6文。現在の感覚で60円から100円前後というところでしょうか。当初は立ち食いの店が多かったようです。

昭和15年頃、エビ、キス、ハゼ、穴子、いか、小柱などのタネを3つか4つつまんで80銭から1円ほどのお値段であったようです。昭和30年代に入ってお店のカウンターで食べるようになってからは、ぐっと値段も上がります。老舗の天ぷら屋さんでは6~7品のコースで800円ほどでした。ちなみに同年の天どんは一杯150円。
現在では天どんが数百円で食べられるファストフード感覚のチェーン店もありますし、お座敷で揚げたてを食べる高級な天ぷら屋さんもあります。都心の高級店のコースでは1万円から2万円するようです。

「ごちそう」のイメージが強い外食の一つ「うなぎ」

ニホンウナギが絶滅危惧種に指定され、シラスウナギの漁獲量は激減し、コンビニチェーンの大量廃棄が問題になりますが、うなぎはなんといっても日本人にとっての「ごちそう」のイメージが強い外食の一つですね。

うなぎは万葉集の昔から日本人に食べられていましたが、現代の蒲焼に近いタレで焼く方法が考案されたのは江戸時代の後期。うな丼を考案したのは江戸時代中期の大久保今助という人で、蒲焼とご飯が別だと、途中から蒲焼が冷めてしまうので、考案したと伝えられています。

江戸時代のうな丼は一杯200文(約3000円)。やはり「ごちそう」だったんですね。昭和30年には350円、昭和50年には1200円になっています。現在でも1500円から1800円くらいではないでしょうか。お重に入っているともう少し高いですね。

もはや「日本の国民食」となったカレーライス

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見事に日本の国民食となったカレーライス

もともと外来の料理が日本化したものとしては、ラーメンとカレーがその代表格でしょう。
カレーライスは、明治時代から日本人に親しまれてきましたが、当初はハイカラな高級な料理でした。明治時代後期頃まではカレーライスは主に西洋料理として扱われましたが、明治時代末期より食堂のメニューにカレーうどん・カレーそばなどのメニューが考案され、広く食べられるようになりました。

一方で、東京の「新宿中村屋」が1927年に「純インド式カリ・ライス」を80銭(当時の大衆食堂のカレーライスの10倍の値段)で出したところ、日本で初めての本格的な「インドカレー」で、高値にもかかわらず1日300食が売れたそうです。

昭和20年代には豚骨スープに醤油を隠し味にした日本風のカレーが銀座の「ニューキャッスル」で評判となるなど、もともとインドの食材であったカレーは見事に日本化されていったのです。ちなみに、この頃のカレーライスは100円ほどでしたが、現在ではチェーン店などでもカレーライスは数百円で食べることができますね。インドやパキスタンの人によるカレー屋さんもこの頃多く目につきます。日本人はよほどカレーと相性がいいんですね。

── そば、天ぷら、うなぎ、カレーライスと、日本人が大好きなメニューから外食のお値段の変遷をたどってみましたが、今日はクリスマス。
クリスマスは和食ではなく洋食をメインにパーティを楽しむ方が多いようですが、歳末から年明けにかけて和食を食べる機会が増え、おせちに飽きた頃になると外食の機会が増えます。とはいえ、年末年始の暴飲暴食にはくれぐれもご注意を!

参考:岩崎晋也:『食べもの屋の昭和』(柴田書店)

≪記事作成ライター:帰路游可比古[きろ・ゆかひこ]≫
福岡県生まれ。フリーランス編集者・ライター。専門は文字文化だが、現代美術や音楽にも関心が強い。30年ぶりにピアノの稽古を始めた。生きているうちにバッハの「シンフォニア」を弾けるようになりたい。


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